生きる理由が残されてることに気づく

 
(これを買って帰ろうかなと)



今日から
母が入院することになりました。

2017年に肺がんが見つかり
抗がん剤治療を始めたものの
合うものが見つからず
体力的にこれが最後です、と
すすめられた薬が効いてから、、
5年が経ちました。

4週間に一度だった病院が
8週間の間隔になり。
都度受ける検査でドクターからは
がんが小さくなっている
燃えカスのようになってるようだ
診てきた患者さんで一番効いている
実際どうなっているのか中を見てみたいとまで。

この先生の言葉に通院する母の
足取りも軽く見えました。
この病気がわかる前は歩くのもつらそうで
実家の2階への階段がのぼれなかったのに
薬が効いてからは体力もぐんぐんついて
父をも超える元気さになりました。
言われなければ肺がんと分からないかと。


そんな母に、このたび別な病名がつきました。

喉頭がんだそうです。


治療は手術になるとかで
術後、食事は口から出来るけど
呼吸は喉から出た管?になるみたい?
いちばんは声がなくなるそうだ、と
病院から電話してきた父の話に
久しぶりに緊張が走りました。

病院もこれまでの所では手術が出来ず
さらに大きな病院へ紹介とのこと。

電話を切りしばらく、今度は母からの着信。
父とは反対にしっかりとした声でした。

あの死にぞこないから、もう5年も
好きなもの食べて好きなことして
生かしてもらった
どんな事を言われても悔いはない
受け止めるだけ
受け止めるしかないから
泣いても仕方ないからね、と。

これを聞いてハッとしました。
そうだ、いまは悲しむ時ではなくて
受け入れる事が大切なんだと。
母は生きる方を選んだ
手術をして声がなくなる方を。

こうして私の気持ちも固まった翌日、
再び父から連絡が。

担当医から電話がきたそうで
細かい検査の結果、チームで出した答えが
抗がん剤と放射線の治療に変えると。


え?え?えー??
手術を回避できるかもなの??
そうしたら声も残るだろうって!?
アワアワアワ、、!!


このやりとりもほんの数日前のことで
あれよあれよと決まった入院でした。
それだけ急いでいるのかな。
これからどうなるか分かりませんが
5年前の今頃(あの時も6月でした)も
お盆を迎えられるのかとよぎった我々。
また色々とひっくり返して元気に帰る事を
期待している自分がいます。


とりあえずもう少ししたら一時帰国の予定、
七夕にはちょっと早いけど
いろいろと、うまくいきますように!!!







コメント